HISTORY 02

■■ 向井修一のエッセイ <ときの忘れ物、ブログ執筆>

「神戸 CITY GALLERY ヒストリー」

 

CITY GALLERYオープン(1979年)

 

1979年2月、神戸の元町駅北側にCITY GALLERYをオープンしたのが25才の時でした。CITY GALLERYをオープンする以前は京都の思文閣、南天子画廊大阪店に勤め、少しずつ美術作品の収集も始めていました。その中で、現代版画センターの活動に出会い、私の独立の際にCITY GALLERYを「現代版画センター・神戸支部」という形にしていただき、当ギャラリーの展覧会の開催に尽力していただきました。渋谷の桜丘にあった現代版画センターには、たくさんのスタッフ、作家が出入りし、版画の制作、地方への作品発送、マット切り、などいつも活気にあふれていました。「版画センターニュース」も毎月発刊され、刺激的な空間でした。

そこでは、版画作品は自由に閲覧することでき、作品の委託販売も可能でした。そのおかげで、菅井汲展関根伸夫展島州一展元永定正展アイオー展、オノサトトシノブ展、木村利三郎展、篠原有司男展などの版画展を多数開催することができました。作家自身も(亡くなられた関根さん、島さん、菅井さん、元永さんなど)も展覧会初日に駆けつけてくれました。多忙な関根伸夫さんからは「画用紙と水彩絵具、筆を用意してください」と伝言がありました。展覧会直前にホテルの部屋で3時間の間に描かれた6点のドローイングを、そのまま額に入れ展示しました。それらの作品はオープニングパーティで、半分以上、赤ピンがつきました。その作品のうちの1点は今でも私の手元にあります。

当時は「ときの忘れもの」の綿貫代表も版画を満載した大きなバンで全国を回り、各地で会員を集め、オークションなども開催されていました。版画ブームだったので、作品がかなり売れたことを思い出します。その後、若手の関西のアーティストの個展を開催するようになり、中原浩大、椿昇、松井智恵、石原友明、杉山知子など現在のアート界を主導する作家達の個展を次々に開催しました。

そして、1990年に三宮の神戸市役所西の高砂ビルに移転します。特に印象に残った展覧会は、李禹煥展です。1979年、自由が丘画廊の実川暢宏さんに仲介していただき、「点より、線よりのシリーズ」のタブローや水彩画を展示しましたが、なかなか売れず、何年か倉庫に残っていました。また、1992年と1994年には蔡國強展をノマルエディショと共同開催しました。蔡さんには大阪に来ていただき、火薬画を制作、書籍も3冊刊行するなど、今では実現不可能な展覧会を開催することができました。当時、ともに蔡國強展の企画運営をしたノマルエディショの辰巳氏は現在、中国・ドイツ・上海などで蔡國強スタジオの現場ディレクターとして活躍しています。

そして、1995年1月に阪神・淡路大震災でギャラリーは被災し、その直後の2月に「WE ARE HERE」展を開催しました。これは、避難所や倒壊した家屋の前に貼られていた生存確認及び所在地確認のためのビラ「私はここにいます」をモチーフとしタイトルをつけた展覧会で、交通網が分断された中にあっても繋がりを持ち、可能な限り広く多くの参加を呼びかける参加型展覧会として開催したものです。この「WE ARE HERE」展を最後に、大阪に移転することを決意しました。

移転後は大阪の画廊街・西天満で約10年活動し、2005年にギャラリー活動から離れます。その後、展覧会企画、オークションを通じて作品の販売、執筆活動などを経て、2018年に兵庫県立美術館の研究誌である「兵庫県立美術館研究紀要」12号掲載<「シティギャラリー」について―向井修一氏インタビュー>の取材を受けたことにより、新しいスタイルの画廊活動の再開を決意し、2018年9月自宅隣にcitygallery2320を新たにオープンすることにしました。

 

(参考文献:江上ゆか「シティ・ギャラリーについて―向井修一氏インタビュー」
兵庫県立美術館サイト ▶ 「兵庫県立美術館サイト内『研究紀要12号』PDF」

[citygallery2320]

 

■ 画廊は神戸市西部の下町にあります。阪神・淡路大震災で大きな痛手を受けた地区ですが、幸い倒壊、火災から免れた文化住宅と呼ばれる2階建てのアパートを、友人と約2ヶ月かけ改装しました。韓国・朝鮮人、ベトナム人、ミャンマー人が定住し、多国籍の文化が入り混じったエリアにあり、神戸のビジネス街から離れてもいる、そんなコンテンポラリーアートのギャラリーにわざわざ来る方がいるのか当初は心配しましたが、逆にそれを面白がってこられる方も、最近は増えてきました。

ギャラリーでは、2018年9月のオープニング企画のコレクション展から現在まで35回展覧会を開催しました。壁面への直接ドローイング、数台のプロジェクターによる映像作品の上映、また作家のオリジナル制作楽器による演奏会や94歳で亡くなったアーティストの回顧展など、「垣根のない」展覧会を企画し運営しています。

2022年2月、ギャラリーの両隣に「藝術文庫」と「W/M事務所」を開設し活動の場を広げました。「藝術文庫」は美術関連書籍の収集閲覧のためのスペースとなり、その他、個人映像作家の作品上映、ワークショップなどを行う予定です。こちらには榎忠氏からの寄贈本、『美術手帖』約600冊(榎忠氏についての記事掲載分)などが既に揃っています。「W/M事務所」はギャラリーの事務所兼コレクション作品常設展示場として使用します。

 

 

 

 

 

[藝術文庫]

 

[W/M事務所]

 

■ citygallery2320のオープンにあたって次のようなことを決めました。

1年に約10回の企画展の開催、作品の搬入時間をできるだけ長く取り、現代美術が本来持っていた自由さをギャラリーとして保証する。コロナ禍の非常事態宣言発令時でも展覧会を中止せず継続しました。

作品集の出版
展覧会を一つの通過点として捉え、作家活動の足跡を紙媒体の資料として残すためcitygallery2320で展覧会を開催した作家個人作品集を刊行する。2022年4月現在すでに20冊を発刊、今年中に3冊の発刊を予定しています。

イベントの開催
展覧会初日に、トーク、クラシック演奏、即興演奏、映像、コンテンポラリーダンス、神戸映画資料館で2日間に亘り個人映像作家の上映会などを開催。現在はコロナ禍のため中断。

グッズの制作
2020年 榎忠個展時にポスター4種・ステッカーを作家と共同制作、今年11月 台湾人作家の帳騰遠(Teng-Yuan Chang)個展開催時に、版画集をノマルエディションと共同出版予定。

来廊者との距離を縮める
来廊者の方にもできるだけ情報を発信していただけるように、作品の制作現場に参加(搬入作業の時も含めて)を呼びかけ、会場内の様子をFBなどのSNSで積極的に発信しています。

■ 画廊の使命はアーティストと並走して、作家活動を保証することとともに、その幅を広げることにあると思います。そのためには、作品集の制作、美術関係者への配布、ギャラリー外の展覧会の企画などだけでなく、いかにギャラリーを運営している側が「アート」を楽しむかにかかってくると考えています。
むかい しゅういち

 

画廊亭主敬白
きっかけは向井修一さんから送られてきた『神戸の画廊物語』というA4サイズ、4ページのパンフレットでした。

 

 

■ このパンフについては別の機会に紹介したいと思いますが、神戸の画廊第一号といわれている大塚銀次郎の『画廊』が開催した1930年~1941年までの展覧会リストが細かい字でびっしりと掲載されていました(1943年に閉廊)。埋もれた民間ギャラリーの歴史を掘り起こす作業(アーカイブ)が徐々に、各地で広がっています。1995年の阪神・淡路大震災で被災した向井修一さんは、大昔、現代版画センターを支えてくれた同志でした。画廊活動の中断を経て、新たな画廊をつくり再始動したことはお知らせいただいていたのですが、コロナ禍でなかなか関西方面には行けず、残念に思っています。

 

 

■ 向井さんから送られてくるカタログの熱量が凄い。昔話も交えての近況の寄稿をお願いした次第です。

 

 

 

 

 

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